2012年03月20日

南三陸〜気仙沼〜平泉〜那須高原

きのうはまず南三陸市内へ。
もう30年以上前にいちど訪れたことがある。
そのころはまだ志津川町と呼ばれていた。

志津川病院
志津川病院。

志津川病院の花.JPG
病院玄関に置いてある献花台。
ここでもたくさんの方が亡くなった。

4階まで浸水(志津川病院)
病院新館の4階のガラス窓に水位の線が残っている。
3階までは完全に水没し、4階も半分以上水没したようだ。

志津川病院のがれき
まわりのがれきは片付けらていたが、病院の2つの建物の間にはいまだにこまかいがれきが残されている。

つぶれた車(南三陸町)
病院の向かい側の建物の中につぶれた車があった。
なぜここに置いてあるのだろうか。

この建物はなんだったんだろう(南三陸)
この建物はいったいなんの施設だったのだろうか。

南三陸町のがれきの山
ここにもやっぱりがれきの山がある。

南三陸町防災対策庁舎
モニュメントのように立つ防災対策庁舎。
この建物でも多くの人が流された。
町長も含め、アンテナや非常階段の手すりにつかまったひとたちがかろうじて助かった話はもう何回も報道されている。
多くの人が訪れて、手を合わせていた。

志津川から県道221号線を通って清水浜へ向かう。
やはり、ところどころ、入り江に面した地区が津波で流されている。

気仙沼線清水浜駅
気仙沼線清水浜駅。
線路は完全に流されている。
まわりの住宅もすべて流され、一軒も残っていない。

清水浜から国道45号線に戻り、歌津へ。
南三陸町は志津川町と歌津町が合併してできた町だ。
その歌津町も大きな被害を受けていた。住宅はもちろん、駅舎や線路も流されている。
南三陸というと志津川ばかりが報道されるが、歌津の被害も相当なものだ。

歌津を過ぎ、また何か所が津波に流された地区を通り過ぎ、気仙沼市に入った。
本吉町ではとても広い面積が津波に流されいた。
ここは広く平らな土地が海に面している。そのためだろうか。

その後も何か所か津波に襲われた地区を通り過ぎ、気仙沼大島を右手に見ながら気仙沼市街地に入った。
ここは港のまわりの市街地が大きく被害を受けた。
被災を受けた市街地へ向かう道路は復旧工事中で通行止めだった。

気仙沼市郊外の古民家風のレストランで650円とは思えないような豪華なランチを食べた。
震災の影響でメニューを減らし、昼はランチのみの営業だそうだ。

気仙沼を後にして僕たちは平泉に向かった。
平泉の中尊寺の金色堂を見学し、その後、高速道路を一気に南下して宿泊地の那須高原に着いたのは夜の9時すぎだった。
posted by Tack at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと遠くまで
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