2012年03月19日

仙台から南三陸町へ

昨日は朝、仙台を出て、まず国道45号線を仙石線に沿って北上した。
塩竈を通り抜けて、松島で休憩。

松島の遊覧船
松島湾を一周する遊覧船に乗った。
ここを訪れるのは実に30年ぶりだ。
松島は多くの観光客でにぎわっており、ちょっと安心した。

松島を過ぎると、東松島市に入る。
仙石線の野蒜駅を通る。駅舎は壊れ、ホームの屋根はひしゃげたままになっている。
流された住宅地の真ん中に残っている線路は、よく見ると枕木が浮いたままになっている。
仙石線もこのあたりはまだ復旧していない。

がれきを運ぶダンプカーに続いて鳴瀬川の橋を渡ると航空自衛隊の松島基地がある。
ここも津波で大きな被害が出たらしい。
道路沿いに青いジェット機のレプリカがあった。
ブルーインパルスは大丈夫だったのかな。

鯨大和煮(石巻)
石巻市内に入り、しばらく走ると津波で流されてきた鯨大和煮のタンクが道の真ん中にある。
去年の11月に、ボランティアも参加して、道路にはみでていたタンクを中央に移動したらしい。
このタンクを撤去するかどうかはまだ決まっていないようだ。

花壇(石巻)
中央分離帯には花が植えられていた。

石巻の海沿いの道の両側には大量のがれきを集積したおおきな山がいくつもある。

石巻から国道398号線に入り、女川町へ向かった。
静かな万石浦沿いの道を過ぎ、山を超えると、女川町の市街地に入る。
道路脇の建物はことごとく流失し、いまは基礎だけが残っている。
町の中心部の大きな建物はいびつにゆがんで鉄骨がむきだしになっている。
コンクリートの建物が積み木をころがしたようにそのまま長方形のまま倒れている。

ところどころ、地盤沈下のため盛り土をしてある道路を通り、海沿いの道路に出た。
ここは「リアスブルーライン」と呼ばれる、風光明媚な区間だ。

小さな入り江が連なり、そのそれぞれが天然の漁港となり、入り江ごとに小さな集落が形成されている。
しかし、その集落の家々はことごとく流され、もう土台しか残っていない。
小さな山を越え、次の入り江が見えるたびにこの光景が目に入る。何回も何回も。
山道の道路脇にとつぜん仮設住宅が現れる。
きっと、入り江に面した集落で生活していた人たちがここにいる。

そんな中で、漁船が何艘か舫われ、漁業用の仮設テントが作られている場所もあった。
海はきれいに透き通り、とてもおだやかである。

雄勝町に出た。ここは2005年に石巻市になっている。
ここは小さな川に沿って、奥の方まで津波が押し寄せた。

がれき(雄勝町)
雄勝町のがれき置き場。
こんながれきの山がそこらじゅうにある。
地図からすると後ろに見えるのは雄勝小学校だろう。

いま、がれき処理の問題が連日報道されているが、確かに切実な問題だ。
とにかく大量にある。なんとか処理をしなくてはいけないと思う。
ただ、このがれきがすべてきれいに片付けられたあと、ここにはかつての町が戻ってくるのだろうか。
ここで生活していた人たちは戻って来れるのだろうか。
一年たった今、ここに来てみたけど、僕にはその姿がまだイメージできなかった。

トンネルを抜け、北上川に近づくと、広大な農地が津波に流されていた。除塩処理はどこまで進められているのだろうか。

たくさんの犠牲者を出した大川小学校わきの橋を渡った。
橋はところどころ流され応急処置が施されている。
北上川の護岸は盛り土され、道路は舗装しなおされていた。
津波はこの護岸を乗り越え、一度に何十人もの小学生を飲み込んだ。

仙台から海沿いに北上し、約120Kmで南三陸町のホテルに着いた。
南三陸町の市街地に入る手前の崖の上に立つ、眺望がすばらしいホテルだ。

志津川湾のウミネコ
ホテルの部屋の窓際に来た志津川湾のウミネコ。

志津川湾の夜明け
志津側湾の夜明け。
早起きの漁師たちが、わかめを取り入れに忙しい。
posted by Tack at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと遠くまで
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